Akari

marinosのことがメインなはず

#横浜FM神戸

『主体性はどちらに』

神戸の選手たちに、やらされている感はなかった。
どちらかというと個人頼みの現実的な戦い方の要素が強いサッカーで、マリノスのようなファミリー感も薄い。
それでも神戸はチームになっていて、むしろ嬉々として全員がこのサッカーを信じてトライしていた。

昨季の最終戦、自分は神戸でマリノスの優勝を見届けた。
周囲が神戸サポの中で静かに喜びをかみしめた。
周りの神戸サポの空気はマリノス強いから仕方ないよね。的なおおらかな印象で負けた殺伐さはなかった。

この試合でもトリコロールギャラクシーの間に聞こえてきたブーイングは、スプラッシュの時のガンバ大阪FC東京のものに比べると控えめだった。

おそらく神戸はサッカー文化が発展途上にある。
歴史を作っている過程にある。
(それでもイニエスタの送り出し方は素敵だったと思う)

チームを強くする過程は簡単なものではない。
素晴らしい選手と現代的な監督を揃えただけでは成功しないことが多い。
そのチームとサポーターの歴史、その土地の地域文化も、組織内には根付いていて、最大値の出し方は複雑性を増してくる。

世界的なプレーヤーを一人いれ、戦術的な名将も入れて、サッカーから現代的で強くしようとした神戸。
天皇杯優勝という結果は得たが、継続的な強さは得られなかった。
手法がサッカー文化はまだ発展途上にある神戸の街や組織にハマらなかったのかもしれない。

大迫勇也・武藤嘉記・酒井高徳・山口蛍はチーム愛も示せるがプロフェッショナルな傭兵感もある。
この選手に合う戦い方を示し、この選手たちがチームに導き、成功体験を重ねてチームにしていく。

取られた選択肢は、属人的で、現代サッカー要素も少ない。
でもだからだめ、より難しい現代的な方にトライしている方が正義というわけではない。

『いまの神戸』での最大値の出し方は、これが正解に近い可能性があるということが大事なのだと思う。

 

直近での失敗体験の重なりでビハインドが疑心暗鬼に繋がったマリノス
チーム力の差はなかったが、信じる力には差があり、勝ちをこちらにこぼれ落とせる可能性は低かったように思う。

『いまのマリノス』にとっていまの手法は最大値の出し方として正しくないのか。
「変化」は絶対必要だったと思う。昨季のままならより悪化していた可能性もある。
少し難しいことへのトライはマリノスを強くするうえでの必要なものであったと確信している。

ただ取られた選択肢が、選手の特性上とアタッキングに魅了されてきたサポーターの性質上、アンバランスだったように思う。
そのアンバランスさが正解への道を極端に狭くしてしまっているように思う。

では、正解に行けなかった今季を失敗としてもう諦めるのか。
そんなわけがない。
神戸は優勝に値するチームだが、絶対的な強さはない。
勝ち点差4で残り5試合で諦めるわけがない。

マリノスはファミリーだ。
不器用だけど優しくチーム愛に溢れる選手が多い。
それは強みでも弱みでもあるが、団結しないで逆転できるはずがない。
チームで熱を持って、勝ちをこちらにこぼせる可能性を上げていこう。
勝ちをもたらすための最善を尽くそう。

勝とう。
結果を得よう。
優勝して反省しよう。

日々俺も大事に過ごしていこう。